無題

絵師さんに表紙を頼んだ話 https://anond.hatelabo.jp/20190519061244

この話は、筆者の中にある期待が疑心に、疑心が諦観になるまでの人間の心のダイナミズムを綴った作品なんですよ。これに対する解決策の提示や説教は的外れだ。そのことは筆者自身も危惧しているからこそ冒頭に注意書きされている。

かつてロマンチストだったんですよこの人は。かつては作品を通じて自分の内的世界が他人に伝わることを期待していた。自分のことを知ってほしい、理解して欲しい、それが彼女の創作の原動力だったのだ。そして自分の好きな絵師が作品を深く理解し、自分の内にある世界を、自分の長ったらしい文章などではなく、絵で端的に表現してくれる。そんな真の理解者が現れるというファンタジーを望んでいた。

でもそれは幻想に過ぎなかった。自分の気持ち、伝えたかったメッセージが全く読者に伝わっていないということを、絵師から受け取った絵を通じて知ってしまったのだ。そして同時に知った。自分の表現力の無さ…キャッチーさに欠ける要素も、物語の深い掘り下げもできていないことも、思い知らされてしまった。
創作者としての無能感に加え、自身が抱えた人間としての弱さ、慢心や嫉心までもが明らかになってしまった。

「気づかなけりゃよかった」、その通りである。創作活動なんかやっていなかったら知りようがなかった自分の罪を知らされてしまったのだから。創作をやっていなければ…自分の心が他人には分かり得ないという悲しみを抱えながらも死ぬまで心に致命傷を負わずに生きられたかもしれない。
でも自分を理解してほしいと望んだがゆえに、いかに自分がくだらない人間だったかということを思い知らされる羽目になったのだ。これが筆者の言う「悲しい」ということ。その悲しさの根拠は絵師に対してではなく、自分自身に向けられているのである。

文章の最後で筆者は、今後機会があれば細かく指示を出そうと誓っている。これは決意表明だ。絵師に表紙絵を描いてもらう行為を、「自分の心を慰めるためのもの」ではなく、「物語の本質を正しく読者に届けるためのもの」として利用していくという方針転換をすることを誓ったのだ。
今まで創作の原動力となっていた核を捨て去り、新しいステージに立つことを決意したのだ。創作者としての魂の生き死にが懸かった決断だ。摺り合わせが大事だと分かってたのならもっと早くそうしろ、などたかだか部外者が軽く口にしていいものだろうか?

…いや、しろや。摺り合わせはしろ。絵描きはお前の魂のステージを引き上げるための、お前の人生の、舞台装置じゃあないんだぞ。絶対に摺り合わせはしてくれ頼む。真に自分の行いを恥じるなら愚痴は墓場まで持っていってくれ。 摺り合わせしろ。マジ。摺り合わせ、しろ。

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書いてる人:州倉正和